■ 津久見から臼杵まで
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昨日は夜から雨が降り始め、明け方まで続いでいたが、朝になってようやく止んだようだ。熊本は既に快晴のようだが、大分もこのまま天気が快復して欲しい。
今日は臼杵に行って、そのあとは国東半島を走ろうと思う。 |
朝食を食べた後、相棒とは7時に駐車場で待ち合わせ。夜中の雨のせいでバイクが完全にずぶ濡れ。北九州に帰ったらチェーン掃除をしておかないと錆びそうだ。 |
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AZホテル津久見はジョイフル(ファミレス)や温野菜といった飲食店舗と併用で地方にしては結構大きい。AZグループは大分が本部だからね。
ただ、このホテルは設備的にイマイチだった。上を見ると窓が結構空いているが、実はボクも窓を空けていた。これは空調が弱中強しか設定できないためだ。
昨日の夜は暑かったので空調を入れようとしたら冷房ではなく暖房が効いて気分が悪くなった。昔のホテルは空調が調整できないものが多かったが、昨今のホテルでこれは辛い。これで5,000円は相当イマイチ。
AZホテルは朝食の質も他のビジネスホテルより低いし、駐車場が広いことぐらいしかメリットがない。 |
さて、準備が出来たので出発しよう。朝起きたときはどんよりとした曇り空だったが、少しずつ天気が快復してきた。 |
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路面はまだ乾いていないので雨スリップ注意の警告の通り、路面状態を気にしながら慎重に走る。雨が降っているときは細心の注意で走るが、天気が良くなって路面が濡れていると、注意散漫になりがちで意外と危ないからね。 |
津久見を出発して程なく臼杵市に入る。佐賀関の案内も出てきたが臼杵や佐賀関は愛媛行きのフェリーがある。佐賀関~三崎の国道九四フェリーは何十回と乗っているが、臼杵~八幡浜の宇和島運輸フェリーに乗ったのはいつだったろうか。(ホームページを見返してみると8年半前らしい・・・) |
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そして臼杵市街地と反対方向に進んできたのが、ここ、臼杵石仏。臼杵といえば石仏というのは知っていたが、実際に来たことがなかったので一度来てみたかった。 |
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■ 国宝、臼杵石仏
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臼杵市の観光案内地図。色々とイベントや名所があるようだが、石仏以外はよくわからない。北海道でも地方の案内図を見るたびに知らない観光名所ばかりだったが、将来、何年も掛けて各地方の名所を回る旅もいいな。
ただ、それには健康と時間とお金の3つが必要という高い障壁があるが。 |
臼杵石仏の周辺地図。今の時間は駐車場から少し先の観覧券集札所で観覧券を発売しているらしい。地図を見ると中は意外と狭いようだ。 |
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石仏とは紐づかないソフトクリームの看板。石仏の写真はいるだろうか?生しょうがソフトクリーム自体もあまり美味しそうに思えない。 |
途中の飲食店の看板。うな重ならぬ、たち重という不思議な重物。これはウナギが高価だからその代替品としてのものなのか、それとも純粋に太刀魚(たちうお)が美味しくて、うな重とは似つかない味なのか、どっちだろう?店が開くのは昼前なので食べられないが機会があれば一度食べてみたい。 |
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観覧券集札所へ。観覧料金を払って中に入る。受付で料金を払っている最中に何か投票用紙を渡されたが、期間限定で石仏の総選挙を実施しているらしい。石仏自体の特徴を知らないから投票してと言われても(笑) |
とりあえず、中に入っていこう。何となく神々しい雰囲気だ。 |
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中を色々と見て回る。それほど広くないので一体一体、ゆっくり見ても30分から1時間ぐらいかな。
臼杵石仏の歴史は古く、平安時代から鎌倉時代に掛けて彫刻されたと言われている。ただ、この石仏を何のために掘ったのかは不明であり、真相は解明されていない。石仏は60体以上あって、ほとんどが1000年以上野ざらしだったらしいが、それでもこれだけの原型を留めていることに驚くばかりだ。紙やコンクリート、鉄、電子部品、etc。世界には人類が産み出した様々な素材があるが、どれも1000年も野ざらしにすれば消滅してしまうだろう。昨日の岡城跡しかり、石に彫刻するという原始的な方法が実は一番保存に優れているというのがよくわかる。
(そのうち、人間も1000年ぐらい生きるようになったりしてね。ただ、楽しくずっと生きられるのであればいいが、そんなに生きていても楽しいとは思えない気がする。人間、時間に限りがあるから、こういったツーリングが貴重なのでね) |
ちょっと怖い石仏のオブジェ(笑) |
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総選挙のポスター。正直、ボクでは石仏の違いがほとんどわからないが、石仏の目を見て決めよう(笑)。 |
ということで、「あみだ如来」に投票しておいた。 |
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石仏見学のあとに休憩所で一息。皇族も訪れているようだが、直近が秋篠宮同妃両殿下の平成5年と結構古い。 |
著名人のサインが並んでいるが、どれだけこの石仏に興味があってここに来たのかは怪しいと思う。
番組や宣伝の為というのが大半ではなかろうか。ブラタモリだと石仏を色んな視点から解析してくれそうで面白そうだ。 |
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■ 国東半島に向かっていこう
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さて、石仏を拝観した後は臼杵から大分市に向かって走っていこう。大分市からは高速に乗って国東方面に出ようと思う。(大分市、別府市はとても混むのだ) |
高速に乗る前にガソリンスタンドに寄って給油するが、レギュラーがリッター171円とは驚くね。(2008年に原付バイクに乗り始めた頃はリッター190円というのがあったが、あの時以来の高さのような気がする) |
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ガソリンを入れたあとは大分光吉ICから大分自動車道へ。 |
高速道路に乗って一気に別府市まで来た。別府湾SAで降りてみよう。 |
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別府湾SAで休憩してから下車しようとしたが、SAに入ると下車できないらしい。これは相当不便で、なぜこんな構造にしているのか理解できない。(設計ミスとしか思えない) |
ということで別府湾SAで休憩できずにそのまま下車してきた。このまま宇佐方面に行くと国東半島を回らずに北九州に戻ってしまうので亀川温泉方面へ。 |
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別府湾SAは高い場所にあるので、そこからはとにかく下っていく。亀川温泉方面に進むとすぐに見えるのが立命館アジア太平洋大学。この大学は有名で何が有名かというと、学生・教員の半数が外国人ということ。別府は多種多様な人種が多いと感じるが、この大学に要因があるだろう。 |
対向側から学生らしき原付も多く見かける。これだけ標高があると自転車での通学は辛いだろう。 |
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ずっと下ってきて国道10号と合流。さて、国東半島に向いて進んでいこう。 |
国道10号から分岐して国東半島をぐるっと回る国道213号へ。 |
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国道213号に入って程なくして城が見えてきた。国東半島に何があるのか実はよく知らないまま走っているが、臼杵から走りっぱなしだったので休憩がてら少し立ち寄ってみよう。 |
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津久見から杵築(きつき)まで。臼杵石仏を拝観したあとは高速道路を経由して杵築まで走ってきた。 |
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■ 杵築城~国東半島を走る
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国道から見えた城は杵築城というらしい。こんな城があるとは知らなかった。 |
周辺の観光地図。杵築自体をよく知らないのだが見所は色々とあるようだ。
(日豊本線を走る特急ソニックの停車駅の1つに杵築があるのを知っているぐらい。北九州からそんなに遠くはないが、ルート的に寄り道しない限り、杵築に来ることがないので、それがあまり知らない要因であったりする) |
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せっかくなので城まで行ってみよう。階段を登ると庭園?があり、その庭園に多数の石塔がある。四国八十八か所を走ったときにこういった光景があった気がするが、基本的にこの手の内容に興味が持てないのでそのまま素通りする。
八十八か所は2015年にバイクで走ったが、途中から飽きてきてその後は苦痛の連続だった。元々八十八か所について興味があって、色々調べた上で回ったのであれば楽しめたと思うが、大して興味がないのにスタンプラリー感覚で八十八もの寺を巡ったのは失敗だった。
なのでボクはあれから楽しくない事に力を一切割かないというスタンスで生きている。ツーリングはバイクで走るのが楽しくて更に地図マニアのボクは色んな所に行きたいという欲があるのでこの趣味が成立しているのであって、その欲がなくなった時(面倒、損得勘定、危険、他)が引退になる。 |
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杵築城だ。この城は日本一小さいと云われているらしく実際にみてもそう思う。他に似たような小さい城に行ったのは山口県の岩国城ぐらい。城にそんなに興味があるわけではないが、過去有名処の城はそれなりに巡っていて、姫路城、松本城、大阪城、名古屋城、五稜郭などを巡っているが、個人的に好きなのは松山城と高知城。両方とも高台にあっていかにも城下町という雰囲気が素晴らしい。
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さて、国東半島を回っていこう。雲が若干多くなっているのが気になる。 |
地図を見ると国道213号は国東半島を囲むように通っていて海が見れると思っていたが、実際は海がほとんど見えない。その上、民家や市街地も多い。 |
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ようやく海が見えたと思ったら空がほとんど黒い雲で覆われて景観はイマイチ。人生、そんなに簡単に事は運ばない。 |
途中でホテルAZが出てきて、こんな辺鄙な場所にビジネスホテル?と思っていたら、すぐ先に大分空港が出てきた。そう、大分空港はこの国東半島にあった。
ここは大分市や別府市とかなり離れていて不便な印象が強い。昔はホバークラフトで別府や大分に海経由で渡ることが出来たが、今は高速道路が直結しているのでホバークラフトは役割を終えて10年以上前に廃航になった。
(大分空港は日本の空港不便ランキングのかなり上位に食い込むと思う) |
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大分空港を通過したあとに軽い雨に打たれたが、そのうちに青空が広がってきた。空港を過ぎてから長閑(のどか)な風景が続く。 |
そして道の駅「くにさき」で休憩しよう。昔、来たことがあるようなないような・・・(既に記憶がなく) |
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国東半島の地図。周辺の観光より気になったのはフェリー航路。大分県も北九州と同じく航路が多い。北九州には関西行きや四国、東京などの航路があるが、大分県も四国の他、関西行きがある。
関西から北九州だと、北九州市や福岡市への物流利用の側面が強いが、関西から大分は阿蘇を中心とした観光利用の目的も多いのではないだろうか。
どちらにしても九州と関西はこれだけ航路があるので距離が遠いわりには気軽に自家用車で行き来できる。(夜出航すれば朝到着するのが更に便利) 心理的に四国より関西の方が近いのは確かだ。 |
道の駅から海岸に出れるようなので少し出てみた。黒津崎海岸という海水浴場らしい。 |
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黒津崎海岸へ。この時期だとさすがに誰もいない。砂浜が綺麗な海岸だが、せっかくの砂浜もテトラポッド(消波ブロック)が目の前に広がっているので景観はイマイチ。
テトラポッドは電柱と同じぐらい景観を損ねる産物だと思っている。港や漁港など人工的な役割がある場所だと理解できるが、こういった貴重な砂浜に人工的なものを置く意味がわからず、これがあることで折角の景観がぶち壊しになる。そもそもあの程度置いても効果があるとは思えないけどね。
(北海道ツーリングでも書いたが景観はとても大切だと思うぞ。テトラポッドと電柱を1日でも早く廃止する運動に取り組もうかな) |
さて、さらに北上していこう。
(やっぱ電柱があると空が汚い(笑) 電柱がないと相当景観がいいと思う) |
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豊後高田方面は県道で行くほうが早いらしいが、国東半島を周りたいのでこのまま国道213号を進む。 |
姫島行きフェリーの案内が出てきた。姫島といえば村長選挙が何十年も無投票で続いているというのを何かのメディアで聞いたことがある。
(端から見れば村長一族に支配された村と見えるが、実際にそれが不幸かは別の話。一族支配が閉鎖的と感じる人は大概島から出ていくだろうからね) |
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そして道の駅「くにみ」へ。道の駅「くにさき」からここに来るまでに天気が一気に良くなって気持ちよく走れたよ。 |
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■ 国東半島の後半
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くにみというと長崎県の有名なサッカー所が思い浮かぶが、ここは国東市国見というところ。(相棒は長崎県島原市出身なので長崎の国見はよく知っている)
タコ煎餅やタコ飯など、タコの文字が目立つが、タコが名物なのだろうか? |
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タコの銅像があった。国見はタコが名物というのがよくわかった。タコといえば明石の印象が強いが、明石以外に思いつく場所がない。 |
ちょうど昼なので出店のタコ焼きそばを買ってみた。焼きそばにイカを入れることはあるが、タコが入ったものを食べるのは初めてな気がする。早速食べてみたが、タコ自体はそれほど美味いとは感じないのだけど焼きそばが美味い(笑)
世の中に焼きそばほど簡単に作れて美味い物ってあるのかね?(笑) 焼きそばはB級グルメの王様だから具は正直なんでもいい。 |
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相棒に連れられてさらに道の駅併設の食事処でタコ飯を頼んでみた。魚介類が豊富な九州だが九州でタコを食べる機会はあまりない。関西のようなタコ焼き文化ではないし、瀬戸内のようなタコ飯文化もない。居酒屋に行ってもイカは多いがタコはほとんどないのが実情だ。 |
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さて、時間がなくなってきたので先に進もう。 |
竹田津港の案内が出てきた。実はここから山口県周南市にフェリーで行くことができる。 |
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豊後高田市に入った。今日、最後の目的はもうすぐだ。 |
そして、豊後高田市の昭和の町へやって来た。 |
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杵築から国東半島を回って豊後高田まで走ってきた。国道213号は快走路が続くが、思った以上に海側の道は少ない。
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■ 豊後高田市の昭和の町
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昭和の町は昭和30年代を再現した所として有名。
(過去、結婚直前に嫁と来たことがある。2008年1月だったのでほぼ14年振り) |
懐かしのボンネットバス。懐かしといいつつ、昭和50年生まれのボクが子供の頃は既に普通のバスだったので懐かしさではなく古さしか感じない。
このボンネットバスは普通に公道を走れるらしい。有料で近場を巡回しているようだ。 |
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中に入ってみよう。うーん、古めかしい店舗。これもボクぐらいの世代では懐かしさは感じないぞ(笑) (60代以上?) |
これも鉄板の看板。この女優は昔「由美かおる」と思っていた。(正解は松山容子) |
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パチンコ台。去年のツーリングで相模湖で見たレトロな店舗に似た台があったのを想い出した。 |
このブラウン管は昔じいちゃんの家に普通にあった。ただ、ブラウン管って説明書きしないといけないぐらい古かったっけ?
ボクが大学生の頃はまだ普通にブラウン管が標準だった。社会人になって2年目ぐらい(2001年)にEIZOの液晶ディスプレイを十数万円で購入したが、その後に買い直したテレビはまだブラウン管だった。(ブラウン管が完全に役割を終えたのはアナログ放送終了の2011年) |
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黒電話と足踏みミシン。黒電話は子供の頃に普通に使っていたが、今の20代は使い方がわからないらしい(笑) 会社でも新入社員と会話をしているとジェネレーションギャップに驚くことも多い。変化が非常に早いPC関係は特に。それだけ歳を取ったということか・・・(母がいなくなるなんて想像もしなかったからね)
足踏みミシンは母が普通に使っていたよ。最初にこの機構を考えた人は凄いと思う。 |
炊飯器も古臭い。こう見ると白物家電は今も進化しつつ、かろうじて家電として残っているが、黒物家電(AV機器)はスマートフォンやパソコンに淘汰されてほぼ絶滅に近い。モノづくりを得意とする日本の1980年代は家電メーカーを中心に製造業に勢いがあったがそれも遠い昔の話。
そして40年経った今はソフトウェアからAIに進化しつつあるが、日本のソフトウェア技術は世界と比べて非常に低い。学校の過度な詰め込み教育の弊害なのだろうか、創造的な仕事が不得手。令和の時代でも付加価値のない画一的なルーチンワーク(作業)が多いこと。これだと海外企業の下請けになるのは当然だし、他先進国と比べて賃金が安くなったのも納得できる。今は日本の労働力のほうが安いのだ。
この先さらに40年も経てば日本は完全に世界の下請け工場となりMade In Japanは安物の代名詞になってしまうだろう。 |
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次に教室に入ってみる。ボクが小学生の昭和50年代後半より若干?古い。地球儀や地図が教室にあったような気もするがよく覚えていない。ただ、机と椅子はこんな純木製ではなかったのは確かだ。(木製が多いだけで古めかしいと感じるね)
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地球儀。横にある絵を見る限り、昭和30年代と思われる。今も地球儀はあるのだろうか?GoogleマップやGoogleアースで見たほうが圧倒的に便利な時代だからね。
ボクが地図マニアなのは何度も話しているが、子供の頃は地図帳を常に携帯していて暇さえあれば地図をずっと見ていた。勉強はできないが社会だけは得意だった。今は時間があればGoogleマップを見ているので地図を見るという趣味自体は昔と少しも変わっていない。
(地図と将棋は小学生からずっと変わらず続けているので生きている限りやり続ける気がする。両方ともそれだけ奥が深くて飽きない) |
教室に黒板というスタイルは今も変わらない。今の時代であれば大型のタッチパネルを採用してもいいと思うが、まだまだ先の話だろうか。 |
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給食の食器。ボクが小学3年のときは写真と同じような金属製の食器だったが、小学4年になってプラスチック製に変わったのを覚えている。
給食といえば「ししゃも」が好物だった。苦手なのが小エビ(殻付き)のからあげとグリーンピース。もちろん、両方とも今でも食べたいとは一切思わない。(大人になると食べたくない物は食べなくていいのがいいよね。苦手なものを食べてまで長生きしたいとは思わんよ) |
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昭和30年代と思われる日本地図。この地図を見て最初に感じたのは道路ではなく鉄道が中心の地図であることだ。高速道路の建設が始まったのは昭和30年代、東京オリンピック(昭和39年)がきっかけであったから、この当時はまだ道路が主役となっていない。他には四大工業地帯の1つであった北九州工業地帯が記載されていることや、九州や北海道に炭田が記載されていることも時代を感じさせる。 |
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外に出ると古めかしいクルマがある。ボクが子供の頃(小学生低学年)に乗っていたクルマはこんな感じだった。シートベルトなし、キンコン仕様、フェンダーミラー、2ドアなど。
現在のクルマの装備は当時とは比べ物にならないほど便利になったが、クルマを運転して移動するという本質は今も昔も同じ。これもあと何十年かで自動運転が標準となり、空飛ぶクルマも普通になっているだろう。 |
給食の揚げパンがあるが、これは懐かしいというか未だに普通にパン屋で定番だと思うが・・・。どちらかというとマーガリンにコッペパンが標準だった。(マズかったけどね) |
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そして土産を買っていこう。中に入ると先ほどのボンカレーに続いて大塚のオロナミンCの鉄板看板。大村崑のあのメガネが落ちそうな顔は非常に有名。 |
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最後に昭和よりかなり古いアンティークなウェディングドレス(1900年前後)で締めくくろう(笑)
結婚観について昭和では普通の人は年頃になると大体結婚していた。ボクの身近にいる大人も皆、結婚していた。普通にお見合いして結婚する人が大半で男性は仕事、女性は家事というのが一般的だった。そして平成が過ぎて令和になって結婚観は大きく変わった。収入格差、男女平等、多様性、様々な要因が重なって2021年現在の生涯未婚率は男性が4分の1(女性は7分の1)にもなるらしい。結婚したから幸せということはないが、昭和と比べて技術は格段に進歩して生活が便利になった反面、失ったものも増えたのではないだろうか。
これからも様々なツールが出てきて更に生活が便利になることは間違いないが、楽と楽しいというのは別ということを理解しておかないと充実した人生にはならない。便利になっても楽しくなければ意味がない。これから先の未来をどう楽しんで生きていくかが重要だと思う。(あと40年もすれば平成の町という名所も出てくるんだろうね)
さて、今回のツーリングはこれでおしまい。最後は総評で。
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<総評>
今回は北海道ツーリング以来、大分、熊本と1泊2日で回りましたがとても楽しかったです。阿蘇から天気が崩れて急遽、予定を変更して大分方面に出ましたが、これが功を奏して、岡城跡、原尻の滝、臼杵石仏、昭和の町と色んな所が観光できてよかったですが、反省点は杵築の城下町を訪れなかったこと。次回、大分に行ったときは杵築城下町を歩こうと思います。年内にあと1、2回はツーリングする予定です。
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今回の土産品。嫁と娘の為に買ったのですが、全然喜んでくれなくてその大半はボクがいただくことに(笑) |
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走行ルート |
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